ウクレレを手に入れた

浪人生活の始まりにウクレレを手にした。
高校を卒業。
進学や受験体制について疑問をもっていると勉強しない理由をつけて、暇な時はフォークソングや読書をしていた僕は、春とともに、浪人生活を始めることになった。
浪人生活は実家がある大阪ではなく、学生の街、京都の予備校で。
ここで思わぬ人びととの出会いがあり、僕はウクレレを手にすることになる。
ウクレレとはどんな楽器か
ウクレレはこんな楽器

ウクレレは、概ねギターの形をした小型の4本弦の楽器だ。
ミニギターなら、6本弦だし、ウクレレより大きくなる。
スタンダードのウクレレは長さが40センチ~70センチぐらいで、日本で販売されている多くはソプラノ・ウクレレと言い、長さは53センチ。

この長さによって、ウクレレの音は、概ねギターの6本の高音部の第4弦の第7フレットからの高い音を出すようになっている。音は、穴のあいた胴体部で拡大されるのは、ギターと同じ構造だ。
だから、ギターでカポタストを第7フレットに嵌めれば、ウクレレの練習ができる。
ギターを弾いたことがある人は分かると思うが、ウクレレはギターと比べてそれぞれの弦が短い。
1フレットずらして押さえると、半音ずつ上がるのはギターと同じだ。
ただし、フレットの間隔は、その分短い。
まさにギターを短くした感触だ。
ギターにカポタストを高音部につけて演奏する時のあの感覚。
だから、指と指の感覚が狭く、大きな手の人は、もしかすると押さえにくいかもしれない。
つまり、ギターを触ったことがある人なら、比較的、とっつき易いことになる。
ぼくは、高校時代にフォークソングにハマっていたせいで、あまり抵抗がなかったと思う。
ウクレレのご先祖の出身もハワイ?

ウクレレというと、まず思い浮かぶのは、フラダンスという人も多いだろう。
だからウクレレはハワイ原産の伝統的民族楽器か、というと違うらしい。
あらゆる楽器は、それなりの進化を遂げてきたと思うので、
ヨーロッパの弦楽器に似た構造と、ハワイの伝統的な音楽との関係はどうなのかと思った。
Wikipediaによると、ウクレレのご先祖はポルトガルから移民によって持ち込まれたようで、それが、ハワイで独自に発達して現在の形となったそうだ。

ウクレレの名称は、ハワイ語で「飛び跳ねる(lele)ノミ(ʻuku)」という意味。



♪ポンコ、ポンコ、ポンコ♪と奏でると、気分も跳ね上がるように聞こえてくるから、特徴をとらえた名前だね。
と、いうことは、ハワイも昔からノミが棲息してたわけだ。
元々棲息していたのだろうか。
ヨーロッパ人やヨーロッパから来たネコなんかについてきた大航海時代のなごりかな、それとも渡り鳥かな。
なんて、想像してしまう。


僕にとってのウクレレ
子供のころは
ウクレレは、実は幼い頃にも触れる機会があった。でも、その時は、ウクレレはぼくに必要な楽器ではなかった。
僕にとってウクレレとはどんな楽器だったかを振り返ってみよう。
1 ハワイアンとウクレレ


最初のウクレレとの出会いは、ハワイアンだった。
ムードミュージックとして、聞いたハワイアンは別世界の音楽だったが、僕には関係のないものに思えた。
TVでは、アメリカの探偵ドラマで「ハワイアン・アイ」も見てたし、僕にハワイに関心がないわけではなく、また、国外旅行と言えばハワイという雰囲気もあったけど、
僕にとってはハワイアン・ミュージックはパイナップル以上の価値を持つものではなかったし、
ハワイアンダンスも色々な民族ダンスとして変わってるよな、といった感じだった。
ウクレレは面白い音を出していたけど、僕が求める音ではなかった。
たぶん、僕は、子供ながらに常夏の国のショー用に作られた観が強く、楽しいけど心震わせる音とは感じられなかったのではないかと思う。
ショーと言えば郷里の近くの和歌山県白浜温泉のホテルが、ハワイアン・ショーを始めて、火のついたバトンをつかったダンスも有名になった。しかし、それを見るのが楽しいのかどうか。
やはり、幼すぎて、僕には興味が湧かなかった。
2 漫談とウクレレ


僕がウクレレに次に出会ったのはTVの漫談だった。
当時、牧伸二というウクレレ漫談をするお笑いタレントが活躍しており、大人気だった。
主なフレーズは、「あー、やんなっちゃった、あーあーあ、驚いた」。
ハワイアンのメロディに乗せた替え歌もあり、主なフレーズと合わさって可笑しい話しが展開した。
子供達は面白がって、エアー・ウクレレで弾き語りをしながら、このフレーズを歌って、笑った。
牧伸二の漫談のイメージが強すぎて、ウクレレは僕には囃子物のように思えてきた。
今でも少しそういう感じが残っていて、ウクレレが奏でる音を聞くと牧伸二の漫談がフラッシュバックするので、困りものだ。
3 高木ブーとウクレレ


牧伸二以上に大ブレークしたのは、ザ・ドリフターズだった。バンドをもちいたコントは、すこし前のクレージー・キャッツ以上のコント性があり、20時台の番組によって大受けした。
この中で、雷様に扮する高木ブーが、ウクレレが巧かった。
高木ブーはNHKの教育TVで、ウクレレ講師をしていたこともある。
ハワイアンや、ポップスのハワイアン風アレンジなどを収録したアルバムもある。
こうして、ウクレレは、子供のころから高校の終わりまでは、あまり身近ではないが、軽快な音と、笑いのシーンとがまじりあった思いの中にある楽器だった。
バラード好きな僕は、軽音楽中の軽音楽に思えるハワイアンのそれも特別軽い音を出しているこのウクレレという楽器を演奏することは想像もできなかった。
遠藤賢司との出会い:フォークソングからウクレレへ
その僕が、ウクレレを弾くことになる。
回り道だが、ウクレレへの道筋にあったのは、フォークソングだった。
僕は、高校生時代にフォークソングにハマった。
詳細は、別の箇所をみてほしいが、
反戦・平和や思想を歌で伝えるという手法に僕はビックリし、そのようなメーッセージを作り、広げる当時のフォークソングに強く惹かれていた。
そのようなフォークシンガーの一人に強く影響を受けることになる。
遠藤賢司と寝図美との出会い
きっかけは、深夜放送のフォーク歌手の特集番組だった。
ウクレレがポンコ、ポンコ、ポンコとなり始め、
シンガーはちょっと滑舌が悪い、裏声で歌い始める。
♪ 寄せては返す白い波 寝図美はびっくり後ずさる
寝図美よ、これがあの有名な太平洋だよ
いつかこんな海の見える
丘の上に家をたてて
遊んで笑ってくらしたいものさ
はあ夢かな ♪
寝図美とは


もう、分かったね。
そう、寝図美とは、このフォークシンガー遠藤賢治の飼っている猫の名だ。
当て字でネズミと猫らしからぬお名前の持ち主だ。
よく寝ていてその図(寝姿)が美しいのかもしれない。
『寝図美よこれが太平洋だ』ー歌詞の内容ー
寝図美にとってはおそらく始めての浜辺の波打ち際。
寝図美は太平洋と対峙して、
とまどいながら、波と戯れようとする猫の姿が見えてくる。
こんな日常を離れた自然の中に、
穏やかで、たのしげな空間がある。
それだからよけいに、
やがては帰宅すべき都心の環境が対比される。
♪ ……
あのスモッグの雨が降る
東京に住んで
みんなそのうち
真っ黒けだよ
やだね
…… ♪
※ 遠藤賢司『寝図美よこれが太平洋だ』の一部抜粋
1960年代、
日本の高度経済成長のひずみが色々な形で現れた。
その一つが、公害問題だ。
僕も小学校の時、校庭を毒ガスのような真っ黒なスモッグが覆ってしまったことがあった。
光化学スモッグといった新しい言葉が生まれた。
水質汚染、クロム、カドミウムといった汚染物質の名前は自然に耳に入ってきた。
日本各地で人びとは公害反対の運動に立ち上がっていた。
そのような影響は、当時フォークソングやポップスのメジャーであったシンガー達にも影響を与えた。
例えば、『走れコータロー』のヒットで知られるソルティー・シュガーは、公害で鼻毛が伸びて人びとが窒息ししちゃうと歌っていた(『ハナゲの唄(ハナゲの伸張度に関する社会科学的考察)』)。
遅れてやってきた井上陽水が、「帽子を忘れた子供が道で、直射日光にやられて死んだ、僕の目から汗がしたたりおちてくる、ほんとうに暑い日だ」と歌ったとき、(もしかしたら違うかもしれないが)陽水は、光化学スモッグを歌ったと思っていきいていた。
ソルティー・シュガーよりは遅れて、井上陽水よりはずっと前に、遠藤賢治はこの歌を歌った。
遠藤賢司は、ストレートにプロテスト・メッセージをぶつける訳ではない。
日常性の中から、現状の違和性を浮かび上がらせ、つぶやく。
それだからこそ、伝わるものがある。
遠藤賢司がつぶやくメッセージは、当時の一部のプロテスト・ソングにみられた大上段のメッセージではなく、そのような歌に欠けた市民生活に根ざした普通の感覚としての批判をしっとり伝えるものに思えた。
先輩からウクレレ手に入れた
ウクレレが手に入った理由
浪人したときに、浪人生をささえる大学生のボランティア活動の存在を知った。
その中の一人と、楽器について話しをしていたら、
自分はウクレレを持っているんだけど、
使っていないということだった。
僕の頭の中に、波と戯れる寝図美の情景が浮かんだ。
それなら、ゆずってと言ったら、
無料でゆずってくれた。
ウクレレを受け取って、その場で、寝図美よこれが太平洋だを演奏した。
なぜ演奏できたかというと、ギターにカポタストをつけて、
ポンコ、ポンコ、ポンコと弾いていたから。
譲ってくれた先輩は、そんなに簡単に曲を弾けるのかと、
名残惜しそうにウクレレを見ていた。
こうして、僕には、浪人生活の中で明るい音をたて、
遠藤賢司の寝図美とたわむれる時間がうまれた。
そういう精神上のリフレッシュををもしかしたら潜在的に求めていたのかもしれない。
新しい門出とウクレレとの別れ
僕は、二浪した。
大学入学が決まった時、遠くはなれた土地で、四畳半のせまい部屋を考えたとき、
僕は、ウクレレを自宅において行くことを決めた。
遠藤賢司のこの曲は良く歌った。
しかし結局、他のウクレレ曲を学ぶこともなかった。
遠藤賢司のような曲はとてもレアだった。
僕の青春の二年間弱の間、ぼくを慰めてくれたウクレレは、
やがて、ウクレレ演奏の希望者に差し上げることとなった。
それが誰でどう渡したかという記憶は、かき消えてしまった。
いまでも、楽器店でウクレレをみると、遠藤賢司と寝図美が蘇ってくる。
寝図美が登場する歌
遠藤家の猫、寝図美が登場する歌として、このブログ内ではいくつかの歌を紹介しています。
寝図美よこれが太平洋だ
カレーライス
満足できるかな