1960年代末、戦後の日本社会が生み出した様々なひずみが社会問題化される中で、フォークソングのテーマがそのような社会性を帯びて行くのは、当然だったと思う。
その中でも、大きな影響力を持ったのが岡林信康だった。
岡林の唄には「ガイコツの唄」や「おまわりさんに捧げる唄」のようなシニカルな風刺曲がけっこうあるが、僕が好きなのは、現実の人びとの苦しみや悲しみをメッセージにしたバラードだ。
その中でも、良く歌った唄の一つに「チューリップのアップリケ」がある。
チューリップのアップリケ 曲調
若干早めの8分のⅠ拍子のソロギター。
第1弦の解放弦E(ミ)音を弾いた直後に第ⅠフレットF(ファ)音を押さえるハンマリーング・オンをおこない、なんとも、悲しげなアルペジオから曲は始まる。
関西弁の少女の心情を描いた歌詞が、少女の悲しみのリアルさを伝える。
曲はどちらかといえば、淡々としている。
大きな叫びがあるわけではない。
そのおかげで、詞がストレートに浸透してくる。
少女の悲しみが静かに伝わる。
チューリップのアップリケ 歌詞
うちがなんぼはよ 起きても
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん 何処へ行ってしもたのん
うちの服を 早う持ってきてか
前は学校へ そっと逢いにきてくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
誰もお母ちゃん おこらはらへんで
早う帰って来てか
スカートがほしいさかいに
チューリップのアップリケ
ついたスカート持ってきて
お父ちゃんも時々 こうてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちのお父ちゃん 暗いうちからおそうまで
毎日靴を トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつもお金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやでお母ちゃん 家を出ていかはった
おじいちゃんに お金のことで
いつも大きな声で 怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや
おかあちゃんちっとも悪うない
チューリップのアップリケ
ついたスカート持って来て
お父ちゃんも時々 買うてくれはるけど
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
うちやっぱり お母ちゃんに買うてほし
作詞 岡林信康/大谷あや子・作曲 岡林信康 1968年
詞の内容
毎日早朝から夜遅くまでコツコツ働く父がいる。
しかし少女に母はいない。
少女は母がいない理由がわかっている。
それは、貧困だ。
貧困が原因で、祖父が母に辛く当たり、
それが原因で父母が離婚(あるいは別居)においこまれたのだ。
少女は、家を出て行った母がいまだに恋しく、
以前のように、チューリップのアップリケのついたスカートを買って自分に合いに着て欲しいと願う。
しかし、最近では、以前のように学校にそっと逢いに来てくれることもない。
母の心が離れていったのか、自分の知らないところで違う人生を選んでしまったのか?
少女は、祖父が亡くなったので、もう、母を怒る人は居なくなり帰ってきても大丈夫、早く帰ってきてと叫ぶ。
チューリップのアップリケをついたスカートを父も時々買ってくれる
でも、母に買って持ってきてほしいのだ。
現実の少女の悲しみから出た文だから、
貧困と貧困を生み出す社会へのプロテストがストレートに伝わる。
そして、こんな子を悲しませていてはいけないのではないのか、と思える。
この唄ができるまで
牧師の息子で同志社大学神学部に学んだ岡林は、市民運動に関心をもつようになり、養護学校のボランティアを通じてその生徒の詩を元に、この唄をつくることになる。
その生徒の名が、大谷あや子だった。
放送禁止
この曲は、皮革製造にかかわる靴職人家庭の貧困を捉えているが、同和問題を理由に放送禁止されている。
その後、2009年に由紀さおりがこの曲をカバーしている。