サイモンとガーファンクルは、1970年直前にビックになったアメリカのデュエットだ。
『サウンドオブサイレンス(沈黙の音)』から始まって、『スカボロフェア』『コンドルは飛んでいく』『ボクサー』『明日にかける橋』その他大ヒット曲がそろっていて、当時の世界的人気グループ、ビートルズにならぶ人気を持っていた。
『コンドルは飛んでいく』、『スカボロフェア』、『セシリア』など民謡やリメイク曲もあるが、サウンドとボーカルのデュエットが美しく、ポール・サイモンのどちらかというと箱庭的に思える情景描写と思い入れが、人の心を引いたのではないかと思う。
映画『卒業』では、ダスティン・ホフマンが演じる、大学を卒業後自堕落に人妻との逢瀬に溺れていた主人公が、真実の愛に目覚めて、結婚式で………というストーリーは大変刺激的で、若者達の支持を得た。
映画音楽は、サイモン&ガーファンクルの『サウンドオブサイレンス』『ミセス・ロビンソン』が豊富に流れ、映画のストーリー事態が、サイモン&ガーファンクルの曲を並べて作られた感があった。
不倫の相手がロビンソン夫人といった具合に。
世界的に有名になった彼らの曲集の中にあった一曲で、これはという曲が『アメリカ』である。
『アメリカ』
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America by Paul Simon
訳詞(拙訳)
“Let us be lovers we’ll marry our fortunes together”
“I’ve got some real estate here in my bag”
So we bought a pack of cigarettes and Mrs. Wagner pies
And we walked off to look for America
「恋人になっていっしょに未来をつくろう」
「鞄の中にはちょっとした不動産もあるんだ」
そして僕らはタバコ一箱とミセスワーグナー店のパイを買い、
アメリカを探しに歩きだしたのだ
“Kathy,” I said as we boarded a Greyhound in Pittsburgh
“Michigan seems like a dream to me now”
It took me four days to hitchhike from Saginaw
I’ve gone to look for America
「ケイシー」ピッツバークでグレイハウンド社の長距離バスに乗るときに、僕は話しかけた。
「ミシガンは、今では僕には夢のように思えるんだ」
昔、サギノウからヒッチハイクして4日もかかったんだ
ぼくはアメリカをみつけようと旅足ったんだ
Laughing on the bus
Playing games with the faces
She said the man in the gabardine suit was a spy
I said “Be careful his bowtie is really a camera”
僕らはバス中で人の顔をみてゲームをして笑い合った
あそこのギャバジン地のスーツの男はスパイよ、と彼女
ぼくはそれを受けて「気をつけろよ、彼の蝶ネクタイは本物のカメラだから。」
“Toss me a cigarette, I think there’s one in my raincoat”
“We smoked the last one an hour ago”
So I looked at the scenery, she read her magazine
And the moon rose over an open field
「タバコをトスして。僕のレインコートに1つ残ってると思うんだ」
「1時間前に最後の一箱吸っちゃったわ」
やむなく、僕は景色を見、彼女は雑誌を読んだ
それから月が、開けた野原に登ってきた
“Kathy, I’m lost,” I said, though I knew she was sleeping
I’m empty and aching and I don’t know why
Counting the cars on the New Jersey Turnpike
They’ve all come to look for America
All come to look for America
All come to look for America
「ケイシー、僕は迷っちゃったよ」
彼女が寝ていることを知っていたけど、話しかけた。
「僕は空っぽで息苦しい、どうしてだか分からないんだ」
ニュージャージの高速道路で自動車を数えていた
彼らはみんなアメリカを探しに来ていた
みんなアメリカを探しに来てる
みんなアメリカを探しに来てる
どこが心に触れるのか
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若いカップルが、恋人となり婚前に長距離バス旅行をする旅行ものの情景。
タバコを買って人気のミセス・ワークナー店のパイも買って、さあ、二人の未来に続く楽しい恋の旅路が待っている。
二人は、グレイハウンド社の長距離高速バスに乗って、ピッツバーグから出発する。
第Ⅰフレーズの歌詞からは、アメリカを探しにの意味が、まだぼんやりとして、ビジュアルな映える観光地巡りかな、なんて思わせる。
第2フレーズでは、彼は、サギノウからヒッチハイクで4日かけてミシガン州を旅したことがあるが、それは夢のようだったという。
第3フレーズでは、バスの中の愉快なゲームだけれど、しかし、同じバスにスパイがいて監視されている社会というイベージを当たり前に思ってしまっている自分たちがいる。
第4フレーズでは、しゃべり疲れた二人が、それぞれ別のことをしているが、広い野原に月が昇り、変わらない自然と、古くからある農作地帯のアメリカの美しさが象徴的に描かれる
第5フレーズでは、ニューヨーク近辺の渋滞する高速道路で、疲れて寝ている彼女に向かって、彼は、よきアメリカがなくなってしまっているような胸の痛みを訴える。
すると、バスに乗っている人だけでなく、渋滞で走っているすべての人びとが喪失してしまったアメリカを求めて集まってきているんだと、いう思いが募ってくる。
自分たちの愛した(おそらく理念でもあり、過去に実在していたと人びとからは思われている)よきアメリカ、ヒッチハイクして感じ取ることができた少し以前のアメリカは、そこにはなく、情報管理され、訳もなく混み合い、イライラし、人に無関心になっていた。
サイモンの詩は、目の前の探そうと思っても見つからない良きアメリカという状況になってしまった社会についての批判と、それでも人びとは良きアメリカを求めていることを歌っているんだと思う。
方向違いじゃ? ちょっと気になる訳詞について
使える写真屋より
旅程の謎?
色々な訳詞を参考にして、ちょっと気になっていることがある。
というのは、若い頃のサギノウからのヒッチハイクと、
若いカップルの長距離バス旅行の旅程についてなんだ。
ぼくも、最初は、彼氏の若い単独ヒッチハイクと今回の彼女とのバス旅行はほぼ同じ旅程であって、過去と現在とを比較して、失われたアメリカを情緒的に引きだす歌詞になっているのかな、と思っていた。
ととのん PhotoACより
でもね、サギノウからミシガンをヒッチハイクした旅程と、ピッツバーグからニュージャージーの高速道路とは、すすむ方向が反対なんだよね。
サギノウ自体がミシガン州の都市で、サギノウからミシガンへというのは表現として考えにくいので、サギノウを出発点としてミシガン州をヒッチハイクしたという具合に理解するのが一つの方法だろう。あるいは、ミシガンとはミシガン州全体ではなく、ミシガン湖畔だと考えると、理解できるようになる。
それに対して、エリー湖の南のピッツバーグはペンシルベニア州の州都で、サギノウからみればミシガン湖とは反対方向なんだ。
さらにね、ニュージャージーターンパイクは、東海岸のニュージャージー州の高速道路(の料金所)で、ニューヨークのマンハッタン島近辺なんだよね。
距離も、ピッツバーグからサギノウとピッツバークからニュージャージーターンパイクは、同じぐらいの距離がある。
この若いカップルがピッツバーグで高速バスに乗って、サギノウやミシガン州へ行った後、ピッツバークを再び経由してニューヨークへというのも考えにくいよね。
だから、ほぼ同じ旅程を比較した歌詞だと思うのは無理があるように思う。
訳詞者は、地図を見て約したのかな、なんて、すこし思ってしまった。
別の解釈
別の解釈も思いついた。
昔ミシガン育ちの彼が、ヒッチハイクでニューヨーに行こうとした。
Googleマップによれば、サギノウからニューヨークまでを歩くと9日、自転車で6日、自動車で10時間だそうだ。
ただし、ピッツバーグを経由するコースをとると、もう少しかかる。
ところで、彼は、目的地までヒッチハイクで4日かかったという。
これをミシガン州の中の旅だと考えると、ちょっと距離が短いように思う。
4日と言えば、自動車を巧くつなげれば、サギノウからニューヨークまでヒッチハイクで余裕で到達できる時間だ。
そう考えると、彼はミシガン州サギノウからお上りでニューヨークにやってきた過去をもち、
今もピッツバーグから、ニューヨークに向けて恋人と「帰宅」しようとしているのかもしれない。
ミシガンは夢のようだったというフレーズが、ちょっと分かりにくくなるのだが、
ミシガンへの旅が夢のようだったというより、大都会の生活の中で、ミシガンの生活は今では夢のようだという感じなのかもしれない。
また、第1フレーズで、わざわざ「I’ve got some real estate 僕はちょっとした不動産を持っているんだ」と言っているので、もしかするとニューヨークにアパートメントを所有できたのかもしれない。
そういうことを考えると、少なくとも(高速道路を使えたかどうかは別とすれば、ペンシルベニア州を経由してニューヨークに行く大まかな道筋は、一部重なっていることになる。
そうすると、過去のヒッチハイクと現在のバス旅行の差は、情景の差もちょっとあるかもしれないが、見知らぬ人でも車に乗せてもらえる人情と、人をスパイと疑う現代人の感覚の対比になっているのかもしれない。
そうだとすれば、失われた良きアメリカは、人びとの関係性にあると主張されているのかもしれない。
謎が多いが、良きアメリカを探す旅が、良きアメリカを失ったことを自覚する旅になってしまった。
これからこの二人は人情のなくなった社会の中で小さな愛を育てていけるのか。
みんな、その答えを求めて、宛のない旅をしているんじゃないのか。
それでいいのか。
そういうメッセージなのかな、と思う。
けっこう、謎だらけだが、アメリカ人の常識から言えば、この旅程についての歌詞から思い起こされる情景は一つだけなのかもしれない。
津軽港から連絡船に乗れば、函館港に到着するのは常識。大阪のかもめ埠頭に到着するということを日本人が思い浮かべることがないように。
まあ、ミセス・ワーグナーのパイというのも、買ったという目的語だから、たぶんお店のブランド名かと思いつくにも少し時間が必要だね。
早合点しがちな僕だし、聞き始めのころは、知り合いのワーグナーさんのおばさんが、二人の旅に焼いたばかりのパイを持たせてくれたのかしら、なんて思っていた。
僕の英語は拙いからなあ。
ちょっと気になる カラオケのルビ
同世代の気の合う友達とカラオケにいくと、よくこの曲を歌う。
18番ということはないが、歌詞にこめられた思いについて共有するところがあるのだろう。
カラオケでは、英語の歌詞にカタカナでルビをふったテロップが流れる。
そこで、気になるのが、第4フレーズだ。
“Toss me a cigarette, I think there’s one in my raincoat”
“We smoked the last one an hour ago”
So I looked at the scenery, she read her magazine ⇐ここ!!
And the moon rose over an open field
上の she read her magazine の ルビが
「シー リード ハー マガジン」となっているのが多い。
中学生でもわかることだが、
readが現在形なら、動詞read は三人称単数現在だから、readsでなければならない。(ああーおぼえた三単現のS)
歌詞のreadには過去分詞を作る助動詞haveがついていないから、このreadは動詞readの過去形であると分かる。
readの過去形、過去分詞は不規則に変化し、というか形はputと同じくまったく変化せず、変化形は、read, read, readとなる。
ただし、見た目は一緒なのだが発音が変わる。
リード、レッド、レッドとなるんだ。
つまり、ルビをフルなら、「シー レッド ハー マガジン」としなければならない。
過去形のreadだから、「リード」ではなく「レッド」と読むんだよ。
現在計ならread じゃなくて、readsのハズだもんね。
楽しかった二人のゲームも終わって、ひとり一人が自分の時間を使い出すと、彼にはそこから寂寥感が生まれてくる、そういう第4フレーズを歌いながら、このルビでズッコケる。
盛り上がる気持ちがいささか冷めてしまう。(慣れてきたけど)
正しく歌っている人にとっては、徴収が、〇〇さん読み間違えたよなーと、そちらはそちらで興ざめするんじゃないかと思う。
そう思うとますます、第4フレーズが近づくにつれ、心が揺れ始めて、歌への集中度が下がってしまうのだ。
心あるあるカラオケ業者の方、このあたりどうにかしてね。