ピート・シーガーのプロテストは、1960年代のベトナム戦争への政府にも向けられていた。
僕が高校の文化祭で出会ったのは、ピート・シーガーの『腰まで泥まみれ』という曲で、ほんとうにガーンと言う音と青白い光が炸裂したような衝撃を受けた。
『腰まで泥まみれ Waist Deep in the Big Muddy』
作詞・作曲 ピート・シーガー Pete Seeger
原詩
訳詞(直訳風)
Waist Deep in the Big Muddy
腰まで大泥沼に浸かって(腰まで泥まみれ)
It was back in nineteen forty-two
I was a member of a good platoon
We were on maneuvers in-a Loozianna
One night by the light of the moon
The captain told us to ford a river
That’s how it all begun
We were — knee deep in the Big Muddy
But the big fool said to push on
時は1942年に遡る
俺は優秀な小隊の隊員だった
俺たちはルイジアナで演習中だった
在る夜月明かりの下で
大尉が俺たちに川を渡れと命令をした
それが全ての始まりだった
俺たちは、膝まで大泥沼に浸かった
だが大馬鹿者は突き進めと言った
The Sergeant said, “Sir, are you sure
This is the best way back to the base?”
“Sergeant, go on! I forded this river
‘Bout a mile above this place
It’ll be a little soggy but just keep slogging
We’ll soon be on dry ground.”
We were — waist deep in the Big Muddy
And the big fool said to push on
軍曹が言った、「隊長、本気ですか?
基地に引っ返すのが最上策ではないですか?」
「軍曹、行くんだ!俺はこの河を前に渡ったぞ
ここから1マイルほど上流だ
ちょっと滑るだろうがこつこつ歩けばいいだけだ
俺たちは直ぐに乾いた地面に立てるだろうよ」
俺たちは腰まで大泥沼に浸かった
そして大馬鹿者は突き進めと言った。
The Sergeant said, “Sir, with all this equipment
No man will be able to swim.”
“Sergeant, don’t be a Nervous Nellie,”
The Captain said to him
“All we need is a little determination;
Men, follow me, I’ll lead on.”
We were — neck deep in the Big Muddy
And the big fool said to push on
軍曹が言った、「隊長、今の全装備をつけてでは、
誰も泳げません」
「軍曹、意気地無しになるんじゃない」と
大尉は軍曹に言った。
「俺たちに必要なのは、ちょっとした決断さ:
みんな、俺についてこい。リードしてやる」
俺たちは、首まで大泥沼に浸かった
そして大馬鹿者は突き進めといった
All at once, the moon clouded over
We heard a gurgling cry
A few seconds later, the captain’s helmet
Was all that floated by
The Sergeant said, “Turn around men!
I’m in charge from now on.”
And we just made it out of the Big Muddy
With the captain dead and gone
突然、月が雲に覆われた
俺たちは溺れながらの叫びを聞いた
数秒も経たずに、大尉のヘルメットだけが
水に浮かんだ
軍曹は言った「引っ返すんだ、みんな!
今から俺が隊を仕切る」
そして俺たちはようやく大泥沼から抜け出した
大尉は死んでしまった
We stripped and dived and found his body
Stuck in the old quicksand
I guess he didn’t know that the water was deeper
Than the place he’d once before been
Another stream had joined the Big Muddy
‘Bout a half mile from where we’d gone
We were lucky to escape from the Big Muddy
When the big fool said to push on
俺たちは裸になって水に潜り隊長の遺体を見つけた
古い流砂に捕まっていた
大尉は知らなかったんじゃないかと思う
別の流れが大泥沼に流れ込んで
彼が以前に来たときよりも水が深くなっていたことを
俺たちが行ったとこから約半マイルのところで
俺たちはラッキーにも大泥沼から脱出した
大馬鹿者が突き進めと言ったけど
訳詞:中川五郎
昔僕が優秀な軍隊の隊員だった時
月夜の晩にルイジアナで演習をした
隊長は僕らに川を歩いて渡れと言った
僕らは膝まで泥まみれだが隊長は言った「進め」
隊長危ない引き返そうと軍曹は言った
行くんだ軍曹オレは前にここを渡ったぞ
ぬかるみだけど頑張って歩き続けろ
僕らは腰まで泥まみれだが隊長は言った「進め」
隊長こんな重装備では誰も泳げません
そんな弱気でどうするかオレに付いて来い
俺達に必要なのはちょっとした決心さ
僕らは首まで泥まみれだが隊長は言った「進め」
月が消え溺れながらの叫びが聞こえて
隊長のヘルメットが水に浮かんだ
今なら間に合う引き返そうと軍曹が言った
僕らは泥沼から抜け出して隊長だけ死んでった
裸になって水に潜り死体を見つけた
泥にまみれた隊長はきっと知らなかったのだ
前に渡ったよりもずっと深くなってたのを
僕らは泥沼から抜け出した「進め」と言われたが
これを聞いて何を思うかはあなたの自由だ
あなたはこのまま静かに生き続けたいだろう
でも新聞読むたび蘇るのはあの時の気持ち
僕らは腰まで泥まみれだがバカは叫ぶ「進め」
僕らは腰まで泥まみれだがバカは叫ぶ「進め」
僕らは腰まで、首まで、やがてみんな泥まみれ
だがバカは叫ぶ「進め」
ベトナム戦争と放送禁止
ピート・シーガーのこの曲は、泥沼状態になっているベトナム戦争を含め、アメリカの世界戦略が取り返しのつかない泥沼と死への道であり、このまま進むと、常勝の軍隊であっても、いくら戦力があっても、望んだ結果をえられるどころか、多くの犠牲につながる道であり、その道を進めと言っている煽動者に従うことの危険性とその指示に忖度していてはだめだと言った内容を持っている。
当時、テレビではアメリカ軍のジェット戦闘機がベトナムの陸上に向けて機関銃攻撃をしている動画などが流されていて、ベトコン(ベトナムのコミュニスト(共産主義者))といった侮蔑を込めたニュースも流れていた。
沖縄からも米軍が出動し、ベトナムへの無差別爆撃が行われていた。
当時、アメリカのニクソン政権は、米ソ間の友好化を演じながら、その下で、局地戦において勢力を拡大するという「各個撃破」戦略を展開していた。
ベトナムでの戦場では、米大統領ニクソンとソ連元首のブレジネフの握手した写真を載せたビラが空中散布されて、ベトナム兵、ベトナム解放戦線兵の戦意をくじく作戦が展開されていた。
1966年のピート・シーガーの『腰まで泥まみれ』は、アメリカ人がアメリカの戦争に反対し、その愚かさを嗤い、理性を取り戻そうという呼びかけだった。
最初は膝まで、腰まで、やがて首まで泥まみれで、次は溺死するような未来が待っている。
経験主義的な確信など当てにならないことはない。
こういう人に耳を貸してはならない。
それは、当時の新しい世界戦略(ニクソン・ドクトリン)を展開しようとするニクソンが当時からすれば20年前にルイジアナの演習途中で溺死した大尉とおなじく大馬鹿者であるというメッセージとして受け入れられた。
そのために、この曲は放送禁止されてしまう。
僕の出会い
僕たちは、戦争が続く情勢で、南北ベトナムやアメリカの目的について是非は別にして、多くの人が亡くなり、傷つくことへの反感を持っていた。その思いを共有できる、反戦歌は美しく思えた。
そういうことは未だ知らず、高校1年生の僕は、音楽を通じて思想が表現されることに初めて出会ったと思った。
音楽は美しさや調和や愛や恋を語るだけではなく、こんなはっきりした形でストレートに主張を伝えることができる手段なのだと、初めて知ったのがこの曲だった。
もちろん、しばらくして、その他の歌にも、作者の者の見方や考え方が反映しているのだと、捉え返すことにはなるのだが。
僕が『腰まで泥まみれ』を最初に聞いたのは、中川五郎の訳詞で、場所は高校の講堂。
歌っていたのは高校生だった。
そのステージをみながら、僕もああいう風に歌えるんだろうかと思った。
今も心の片隅で
今も、このような大尉のモデルとなる人びとが沢山いる。
軍拡・核抑止力などを平然と言う人びとだ。
そういう人たちは金と権力を持っていて、さらなる軍拡で懐が豊かになる人びとだ。
そういう人たちはずる賢く、人びとを破滅の道へと案内している。
だから、僕の心の片隅から『腰まで泥まみれ』の曲が響く日が続いている。
ピート・シーガーの『花はどこへ行った』はこちらから。