僕が高校生の3年生のとき、
深夜放送を聞いていて、とっても大きな刺激を受けたシンガーがいた。
それは、遠藤賢司だった。
彼の独特の日常感と、裏声の叫びとささやきで作られている
ユニークな曲に触れてみよう。
カレーライス
演奏は遠藤賢司:フォークギターのソロ演奏で2フィンガーピッキング。
『カレーライス』
♪ 君も 猫も みんな
みんな好きだよ カレーライスが
君はとんとん ジャガイモ ニンジンを切って、
涙を浮かべて 玉葱を切って
ばかだな ばかだな ついでに自分の手も切って
僕は座ってギターを弾いてるよ ん〜 カレーライス
猫はうるさく つきまとって
あたいにもはやく くれにゃーって
うーんとっても良い匂いだな
僕は寝転んで テレビをみているよ
誰かがお腹を切っちゃったって
ふーん とっても痛いだろうにね カレーライス
君と 猫は ちょっとあまいのが好きで
僕は うんと辛いのが好き
ふ〜ん、カレーライス
ふ〜ん、カレーライス ♪
※ ラジオで放送されたアルバム遠藤賢司の『嘆きのウクレレ』の録音に基づくので、
『フォークソング1001』に掲載されている遠藤賢治『カレーライス』とは多少歌詞が異なっている
(自由現代社編『ソングノート フォークソング1001』ドレミ楽譜出版社1977年 p.391)。
“カレーライス”と三島事件
『カレーライス』は、
僕と君と猫が大好きなカレーを食べようとする日常に
三島由紀夫の切腹報道が割り込んできた情景を歌っている。
カレーの準備を急いで指を切ってしまった恋人と、
政治発言のために切腹をした三島が対比される。
三島の切腹が持つ政治的メッセージへの批評があるわけではない。
ただ、直前に包丁で指を切った恋人に対して「とっても痛いだろうにね」という同意の問いかけが、ある。
この全く異なる二つの出来事が痛みという共通性でまとめられると、
切腹報道が持つある種の高揚感が、日常的な感覚に戻される。
そして、最後は、カレーの好みの違いが歌われ、
君と猫と僕の日常性が価値あるものとして繰り返される。
※ この歌が触れている三島の事件は、僕が中3の時にあったと記憶している。クラスの男の子数人が、TV報道された三島が率いる右翼的政治集団「盾の会」が自衛隊の建物(市谷駐屯地)のバルコニーの上で、おこなった演説の格好をまねるパフォーマンスをしていた。三島事件とは、憲法改正をめざして自衛隊にクーデターを促す目的で行われた。自衛隊がそれに同調せず、三島は盾の会のメンバーとともに割腹自殺した。自衛隊員には多くの重軽傷者が生まれた。
遠藤賢治の視線
遠藤賢治は右翼ポピュリズムだけでなく、左翼ポピュリズムにも距離をおいている。
その立ち位置から、ステレオタイプにならない批判的メッセージが生まれる。
人びとは様々に扇動される。
遠藤賢治は、一歩引いた日常から考えないか、と言っているように思える。
そして一歩引いた日常の感覚から、現状への深い批判が生まれ、説得力を持つ。
遠藤賢治は、そういう感覚をもったシンガーだと言う気がする。
遠藤賢治と猫の寝図美
遠藤賢治の曲を歌うとき、僕は、寝図美に引き寄せられる。
遠藤賢治にとって寝図美は、ただの愛猫ではない。
猫らしからぬ名前を除けば、
寝図美は素直な驚き、素直な食欲、素直な甘えを持つ、
姿のままの、純粋な、まさに猫らしい猫で、
そしてしばしば価値判断の支えとなる生き物である。
遠藤賢治の色々な曲を通じて、寝図美は次第にその姿を見せてきて、
遠藤賢治の生活の中に鎮座していることが感じられてくる。
寝図美は、他の歌の中にも登場する。
遠藤家の猫、寝図美が登場する歌として、このブログ内ではいくつかの歌を紹介しています。
寝図美よこれが太平洋だ
カレーライス
満足できるかな